鉄人28ミリ
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ばあちゃんの人捜し・鉄人大団円編



7a23cec1.jpg前回は捜し人の中学校に連絡したところまででした。

しかし待てど暮らせど連絡は来ず。

今年の元旦も、平常運転。
通常通りの更新です。

10日ばかり待ったところで、
再度学校に電話。
学校からは、捜し人のお宅へ郵便で連絡したとのこと。

うーむ。
そしたら、ばーちゃんに直筆の手紙を書いてもらって
それを学校へ送り、学校から捜し人へ届けてもらうってはどうだ、
と、■■中学校の担当の方に申し出たところ
「それが一番いいかもしれませんねえ〜」
と快く承諾をいただき、早速ばーちゃんへ連絡。

学校へ手紙を郵送してから数日後、
ばーちゃんから電話がありました。

「Kさんは亡くなってたんだけど、その奥さんから連絡をもらったよ」

話によると、捜し人の一人・Kさんは数年前に、既にお亡くなりになったとのこと。
60年経ってますからね。こういう可能性もあるだろうと思っていましたがやはり。
合掌。

もう一人のOさんは、■■中学校にも記録がありませんでした。
Kさんがご存命なら、伺えるかなと思っていたんですが、それも叶わず。
ばーちゃんは二人分のお線香を焚くといってました。

ともかく、胸のつかえがとれたようで、良かった。

ばあちゃんがKさんからもらった文章
(ノートに書かれた寄せ書き)を引用してこの話の幕引きとさせていただきます。

●●子姉上様へ

お姉様と御話しする様に成りましてから、
まだ二ヶ月しか経っておりません。
短い間ではありましたが、僕が我儘な事を言ったり、
あまえたりしても何時も僕の我儘を聞き入れて下さいました。
僕は本當のお姉様に交はっている様な気がいたしまして、
会社で何時も明朗に働けました。

僕はとても暗い男でした。

お姉様にと御話しする様に成りましてから
とても明朗な明るい人間に成れました。
これはお姉様にいただいた「感謝」の二字の御言葉からです。
「感謝」の御言葉をいただいた當時は只口先だけで
「感謝々々」と言っておりましたが
それは何も成りませんでした。
今度その感謝と言ふ御言葉の意味が、はっきりわかりました。
僕たちは今度も他の会社へ動員される事と思います。
他の会社へ行きましても
「感謝」の二字をしっかり身につけまして
働く覚悟であります。
お姉様達も昔懐しいホテル(註;ばーちゃんの職場である帝国ホテル)へ帰られる事と
思いますがどうか住友(註:挺身隊が働いていた住友通信工業の軍需工場)に居られた當時の明朗な
やさしいお姉様であって下さい。
これからもお姉様の今までの教訓を
しっかり守り、一日々々を明朗に暮さうと
思って居ります。
同じ現場で仲良く働いた僕達
お別れしても同じ気持で皇国の為に
東洋平和の為に勝利の日まで、自分の
職場を守りぬきませう。

 “よき業 美しき言葉
  求めし人 死せりとも
  その求むるところは
       死すことなし”

昭和貳拾年七月二十日
 ●●中学校学徒
        K(印)

僕の尊敬せるお姉様へ

思い出が美しいとか
戦争は良くないとか
そういう類の話なのではない。
求むるところは、死ななかった。
ただただ、それだけの話である。

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