ばあちゃんの人捜し・鉄人聞き込み出張編
前回の続き。
事件は現場で起こっているのセリフに基づき、
ばあちゃんのいる、千葉へ。
千葉といっても結構広い。
広い広い千葉の、東の突端。銚子へGO。
銚子といっても漁港ばかりではない。
キャベツもうまい。
でもやっぱり
マグロは旨い。
牡蠣フライはめちゃ旨い。
(銚子の牡蠣は夏が旬だけど)
写真は、
ばーちゃんの家から見える風景。
キャベツ畑と、青い空が広がる。
数少ない、鉄人の中にある田舎の風景。
先日借りた、社史には、
捜し人の名前は見えず。
その会社の経営者と、捜している人とは名字が違うのでどーかなーと思いつつ、
とりあえず、大正11年生まれのばーちゃんに見せる。
一通り読んでもらうも、この本の中には手がかり無し。
次に、先日faxで送ってもらった、
●当時の住所
●名前
●当時の電話番号
以外に情報が無いかどうか、ヒアリング。
ヒアリングした結果を整理すると
●昭和20年7月まで、ばーちゃんは帝国ホテル挺身隊として勤労奉仕してた。奉仕先は住友通信。今のNEC。
挺身隊についてはこちら。
●捜している二人は、そこで一緒に働いてた。
●その二人は、当時■■中学校の学生。学徒挺身隊だったわけだ。
このころは旧制中学だから12〜16歳かな。
ご健在なら、今年は昭和でいうと80年なので、昭和20年から+60年。
72〜76歳くらい。
二人の写真もあった。
直筆の寄せ書きも(ばーちゃんが住友通信から元々の職場の帝国ホテルに戻るときに書かれた寄せ書き)。
とりあえず、資料として写真でパチリ。
で、なんでまたこの二人を思い出したのかと言うと。
引き出しの整理だかなんだかをしてたら、
日記(?)の間から二人の住所を書いた紙が、ひょっこり出てきた。
で、はたと思い出した。
この二人に、毛糸で「手袋を編んであげる」と言ってたことをだ。
終戦間際のバタバタも重なり、それが果たされないまま
住友通信を離れてしまってから既に60年。
ひょんなことからその二人を思い出したので
もしかしたら、虫の知らせってやつかも知れない。歳も歳だし。
だから、
もしまだ生きてたら、
そのことを一言謝ってあげたいんだそうな。
フリーライター稼業の孫は、
それを叶えてあげることができるのだろうか。
続く。
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